校長先生とは
最近、
学校現場のよくないうわさを聞くことがあります。
「学校に改善を期待しても無理。」とか、
「先生方は熱心なのに・・・。」とか、
「あの校長先生がいるうちは・・・」などなど。
悲しくなります。
学校って、
楽しくて面白くてウキウキすることがいっぱいあるところ。
のはずですが。
・・・・・
私、校長を7年しましたが、
職員室の雰囲気づくりに気を使いました。
職員室に不満と不平と不信の気配があるのが、
一番の不幸です。
私の尊敬する教師の一人です。
その国分先生が残した言葉、
教師に送ったメッセージが、
先生の姿が子どもの成長につながるということです。
先生方が毎日、
楽しくてやりがいがあって子どもたちがかわいくて愛しくて、
そんな気持ちで向き合ってくれるように、
職員室の雰囲気が何より、
信頼と誠実と支えあいとユーモアにあふれる場であってほしい、
と願っていました。
子どもがすくすく育ってくれるためには、
先生方がのびのび明るく楽しく仕事をしてほしいと思います。
働き方改革=残業管理、勤務時間管理ではありません。
共に働く仲間の集団性、同僚性の醸成こそが大切だと思います。
今は逆です。
強制と競争と格差をつけて、
責任感と能力と成果で評価し、
先生方が団結できないようにしています。
教育公務員は全体の(国民、住民の)奉仕者であって、
文科省や教育委員会や管理職への奉仕者ではありません。
忖度と改竄と隠ぺいと、
失言しても責任を取らずに、
高い給料と権力にしがみつく構図にうんざりじゃないですか?
文科省見ててわかるでっしょ。
「道徳性」を備えた役所に見えますか?
教育委員会はなんでも上の言う通りですから・・・、
だからこそ、
生身の子どもと向き合う学校現場では、
校長先生、教頭先生の資質こそが一番問われてくると思います。
職務命令やパワハラなどもってのほかです。
管理職が指導性を発揮するのが一番迷惑なのです。
保護者の苦情を一身に受け、
教育委員会や指導主事とも時には対立し、
先生方を守るのが管理職なのです。
・・・・・・・
私は退職時、
一人の先生を不合理な異動から救うことができませんでした。
それが今でも悔しくて情けなくて申し訳なく思っています。
人事権も予算の編成権限も、教育課程の自由な編成権もない、
それが校長です。
でも・・・・
・・・・・・・
新学期が来ます。
花咲くことは遅かりき、
その咲く花は強かりき。 国分一太郎
現場でもがいている先生方にエールを。
写真はテレビを見ながら撮りました。
では、また。
職務に一途な人ほど悩むものですね。生徒は先生の教えに生き方を学びます。自分を振り返ると小学生のときのかけがえのない教え、読書は計り知れないものを与えてくれますと給食時間の残りに、朗読をして下さった牧田先生の言葉は潜在意識に残り、今に至るまで読書の楽しみを満喫していますし、字を褒めて下さったうれしさは後に書道の道を究めたいと思う努力につながりました。生徒によって音楽に目覚めたり、科学に惹かれたり、そういう意味で先生はやはり先生です。置かれる職場環境の上からの理不尽さとか納得できない義務と、生徒を引率、導く意義は別なもの。でも生徒はしっかり学んでいると思いますよ。どんな職場にも違った形の戸惑いはあるものですが、逃げないで丁寧にこなしていくと、あのときの経験はこのために仕組まれた伏線だったのかと気づく事があります。還暦超えての気づきですが。昔から、親の小言となすびの花は万の一つも無駄がないと言いますが先人は偉いです。
投稿: | 2019年4月 4日 (木) 22:02
正一さん。早速、ブログを拝見しました。
校「長」、「先生」いつになっても人は悩み苦しむものですね。
いつの間にか固定観念に縛られて、出来上がったつもりになって
しまった時が怖いです。
漸く一回目の還暦を迎えましたが、僕らは第二の人生の出発点に
立ったばかり。まだまだ成長を続けたいものです。
投稿: V3(ちょっと懐かしい) | 2019年4月 7日 (日) 16:05